月と海の間で

ゆらゆらと 波にゆられて 思うこと

他人に厳しい日本人

あれは 7〜8年前のことだったろうか?

当時 日本で 解剖学のワークショップを開いていた人と 知人を通して

知り合い ある時 リトリートの参加者を募っているのを知って 連絡した。

そのリトリートは 解剖学だけではなく ヨガのクラスや 有機栽培で

取れた 野菜などを使った食事も 用意され ストレスの多い生活を

リセットするには なかなかの内容になっていた。

私は そのリトリートを シングルマーザーを長いことしている 姉に

送ろうと思い 連絡したのだった。

もちろん リトリートにかかる費用は 全て私が負担することも告げた。

数日後 メールの返信が来た。

内容は 受け付けることはできないと言うものだった。

理由は 本人が 本人の努力により お金を支払うのでなければ 意味がない

と書かれてあった。

姉は 自分が 離婚の申し立てをしたので 養育費などに関する 金銭的な

細かいことは 相手に請求せずに 離婚した。

もちろん うちの両親のサポートは 多少あったが それでも 3人となると

結構な費用だったろう。

だからこそ 私が 参加費を 負担したかったのだ。

申し込みの連絡を入れる前に 姉に一応 参加できるかどうか尋ねた。

そのようなイベントに参加するのは 初めてで だからこそ 本人にしてみれば

楽しみにしていた部分があった。

その断りのメールは ある意味 姉が 参加基準を 満たしていないと 判断して

いた。

 

私と 主催者は ハワイで 数度あったことがある。

最後に あった時は  奥様と二人で来られたが 二人とも 私のセッションを

受けに来たのだった。

私は知らなかったのだが 彼らは 私を試しに来たのだった。

私が ブログに書いていることが 本当かどうか?だ。

その頃 私は ミクシィを使っていて その中で 日本のボディワーカーや

鍼灸師ピラティスインストラクターなどと 繋がっていた。

だから ブログの内容は ワークの内容が多かった。

それは 治療家たちとは 情報交換の場にもなっていた。

 

セッションの後 そうとは知らない私は 二人の症状と これから それを

どのように 改善するのがいいかという提案を話した。

すると とっさに「全部 当たった」と その人が 奥さんの顔を見て言った。

そして その時 私が セッションで どこまで 見抜けるか見てみたかった

のだということを知った。

 

なんと 失礼な人たちだ。それが その時の 印象だった。

が 知人の知り合いだということもあって 何事もなかったように やり過ごし

嫌な顔は 見せずに別れた。

 

リトリートの件が 起こったのは それから 数か月後のことだった。

 

断られたものとしてというより セラピストの立場から メールの返信を

送った。

参加者が どのような形で 支払いをするかということまで 参加基準に

あるのだとしたら 事情があり 自分の稼ぎで払えない人は その事情から

抜け出すまでは 参加できないということになる。

そうした形でしか 癒しを行えないのだとしたら あなたの仕事は エゴで

しかない。癒しが必要な人は いつだって 今必要な状況にあるのだ。

 

どうして 日本人は こうも 他人に厳しいのだろう?

その人自身 過労で倒れ それが 転職のきっかけとなり 今に至っている。

それなら 逆に 疲れた立場にある人たちのことを もっと理解できる

はずなのにと 私は思う。

 

これが アメリカなら 主催者側は 大喜びだろう。

それは 参加者=マネーだからではない。

お互いが お互いの人生を 支え合うことは 同じ惑星に 共同体として

生きるものには 当然の行為だからだ。

だから 自分で 支払いして参加しようが 誰かからのギフトであろうが

そういうことは 条件外だ。

参加したい人が 参加できる。それが もっとも 重要なことではないの

だろうか?

 

少し経って その人は 知人をまた 訪ねて来たらしい。

知人にあった時に そう言うので 縁を切ったんだと 事情を話した。

すると その本人は 私に 怒られたと話していたと 言った。

怒られて 当然だ。

自分の仕事を 日本一と 公で謳う人の 仕事のやり方が その程度のものだから

全く 呆れる。

アメリカの セラピストで アメリカ一という キャッチコピーを使う人を 

見たことがない。

私たちのような 仕事をするものにとって 一番であるとかどうとかいうことは 

重要なことではないのだ。

世の中には 癒しが必要な人が たくさんいる。

もちろん それを 癒す人たちも たくさんいた方がいい。

だから 俺が一番だぞ!とか 私が ベストよ!とか そんなことは どうでも

いいことだ。自分にできることをする。自分に与えられたことをする。

それが 誰かの役に立つなら 本望だろう。

 

そういえば 京都で にんにくビジネスを 展開している人がいるが 自分の

ところのにんにくは 日本一だ。xx県産なんて 大したもんじゃないと言って

いた。それを 聞いた時 忘れていた 日本一男を 思い出した。

 

そうした ものの表現は 「おまえの母さん デベソのレベルでしかない。」 

自分のしている仕事に 自信があれば(自信があればというのは できる限り

のことをつくしているという意味)一番と 謳う必要など どこにもない。

評価は おのずとついてくる。

が そもそも 評価なんてことより 人様のお役に立てれば幸いなのではない

だろうか?

 

このブログに立ち寄ってくださる方々は 自分にも他人にも 優しい人たちだと

察しております。 

 

 

 

 

 

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