月と海の間で

ゆらゆらと 波にゆられて 思うこと

自立

一昨日 エンジェルが オフィスに訪ねてきた。

エンジェルは アメリカ軍の病院で ずいぶん長いこと 事務職をしている。

最初に会ったのは 8ヶ月前で その頃の彼女は 鬱を 患っていた。

鬱の人は 筋肉が 硬直しがちだ。

筋肉が 硬直しがちだから 鬱になると 考えることもできる。

人は落ち込むと 息を吐くことを 忘れがちになるから 当然 酸素の循環も

少なくなる。

呼吸は 吸うことよりも 吐くことの方が大事だ。

うまく吐けば 空いたスペースに 酸素が 自然と 流れ込むことになっている。

カパラバティという 呼吸法があるが 心身ともに スッキリするので 練習して

みるといい。

練習といったのは 一朝一夕では 習得できないからだ。

呼吸というと これまで 深く吸うということに 意識を向けてきた人は 多いと

思う。だから 吐き続けるということは 意識的な 練習なしではできない。

 

話を 戻すが 最初のセッションで エンジェルの中の 重いドアが 開きかけた

気がしたらしい。

その後 月2回、3ヶ月ほど 通ってきた。

彼女は もっと 来たいようだったが 私は それを 遮った。

私には 彼女が 一人で 解決できることが 沢山あるのは わかっていたから

無駄に 出費させる必要がなかったからだ。

ある日 どうしても 私との間に コネクションを作ろうとする 彼女に

あなたは すでに 何をしなくてはいけないのか 自分が どのように 変わり

たいのかが わかっているのだから 私なしでも ちゃんと できるよと 言葉

で 言い聞かせた。

が 彼女に してみると 長年続いた 鬱から 立ち直るきっかけを作った 存在

は なんだか 特別で 繋がっていたかったのだ。

嫌われたと思った彼女は それから 2ヶ月 連絡をしてこなかった。

が 私にしてみれば それは それで いい知らせだった。

小鳥たちは やがて 巣から 飛び立つことになっている。

彼女には どんな理由でも 止まって欲しくなかった。

そして ある日 連絡が来た。

ボディワークを 受けたいというので 会うことにした。

セッションが終わると 彼女が 私に 嫌われたと思っていたから もう 会って

もらえないと 思っていたと言った。

(勝手な 思い込みからくる 感情が 一番苦手である)


そこで 今後 彼女に 起こるであろうことを 説明し そこに 私は いないこと

を 伝えた。

彼女は 納得がいかないながらも それでも その場を 去らなくてはいけなかった。

そして それから 3ヶ月が過ぎた。

 

昨日 家の前の 駐車場に 車を止めて 玄関まで歩いてくる彼女の 姿は 直接

見えなかったが エネルギーが違っているのは 家の中から 感じた。

当然 玄関で 迎えたときの彼女は 重たい荷物を どこかに 降ろして 身軽に

なっていた。

 

2ヶ月ぐらい前 私自身 子宮筋腫が破裂するのでは?という心配を なぜか

抱えていたのだが それは 私の体ではなく 彼女に起こったらしい。

そして その後 偶然 知った マウイでの 意識的なダンスによる リトリートに

参加して 自分が これからしたいこと、自分を 幸せにする方法と 出会えたの

だと言う。これまで 意味もなく 繋がっていた 幾つかの関係にさよならしたとも

言っていた。

昨日は 言わば その報告のような セッションとなった。

何ヶ月も前に 彼女に 伝えたように、彼女には 私は もう必要ない。

彼女の 進む道にも 私はいない。

祖父が KKKの メンバーだったことから 彼女の母親は 幸せな子供時代を

過ごすことができず 子供時代の彼女にとって 母親は 苦痛な存在だったと

いう。

そんな 彼女だからこそ 頼れる女性を 必要だと思ったことは 自然なこと

なのだと理解できる。

が 彼女は もうあの頃の 彼女ではない。

2児の母親であり シングルマザーとして 18年 格闘してきた 自立した

女性なのだ。

が 心の奥底では 当時 満たされることのなかった 幼い彼女が 今でも 

辛くて 泣いていたのだろう。

 

私は 自立こそが 癒しへの ターニングポイントだと 思っている。

依存からは 癒しは 起こらない。

なぜなら 病気で 居続けるのか、病気と 決別するのかを選択するのは 

その人自身だからである。

 

理想的な社会のあり方とは 自立した人たちの 共存であろう。