月と海の間で

ゆらゆらと 波にゆられて 思うこと

見ると観る

私は 見ると 観るを 使い分けています。

 

見るは ただ 漠然とみている状態です。

あ〜 あそこに 木が立っているとか、あ〜 あそこを カップルが 歩いている

とかです。

どちらかというと 2次元的な見方です。奥行きがなく 表面だけです。

 

観るは その木の木肌や 葉の色 根が張り巡らされている範囲 そして いつから

そこに生えているのかなど あらゆるディテールをみている状態です。

それは 3次元的で さらに 心が通じ合うような 肉眼では見えない部分、心に

響いてくる部分で みている状態です。

 

できれば 常に 観る みかたで 物事を みていたいと思います。

 

日本のポルノ映画が大好きな 元旦那は 私をそのような映画にでてくる女優たちを

見るかのようにみていました。

離婚から 10年経ち お互い 近所に住んでいるので 彼が 家に 立ち寄った

ことがあります。滅多にないことなのですが 何か 話したいことでも あった

ようです。

家の中に 入ってきてでた 最初の言葉は 「編み物するの?絵を描くの?

知らなかった」でした。

彼は 彼のみたいようにしか 私をみていなかったのです。離婚前も 絵を描いたり 

裁縫をしたり ピアノを弾いたりしていたのですが そういう部分は 見えてなかっ

たのです。

それよりも 豊胸手術を受けさせて 胸を大きく見せるようにするとか ボトックス

を 唇に打って 厚ぼったくするとか それが 彼にみえる 私なのでした。

この私は そこには いなかったわけです。 

 

友達と 大勢で レストランに出かけて 食事後に 椅子から 立ち上がると 

決まって 言われることが「こんなに 背が低かったの?」です。

それで いつも 同じ返答をするのです。

「偉そうに 椅子に座って 態度がでかいから 体も 大きいと思ったんでしょ?」

みんな 笑いますが でも それは 決して 間違っていないと思うのです。

話し方や 態度、どんなことにも 動じない 堂々とした姿をみたら きっと

体も 大きく見えると思うのです。

そうしたとき 周囲は 見るより 観ているのだと思います。

目で見える以上に 心の目で 確認できる何かをみている。

 

物事を 見ているうちは 気づきが起こりませんが 観るようになると

あらゆる メッセージを 受け取るようになります。

空間は 目に見えない 情報で 溢れているのです。

それを 観るには 心の目を 開かなくては いけません。

 

ここに 私の大好きな ドイツのおやじ マックス プランクの言葉を

書き残します。

 

「科学は 自然の神秘を 解き明かすことはできない。

なぜなら わたしたちが 自然の一部であり、解き明かそうとする 神秘の

一部だから。」

 

「全ての元は フォースだ。私たちは このフォースの 背後に 意識と

知的な心が 存在することを 認めなくてはいけない。その心こそが 全ての

存在の 基盤である。」

 

 

アメリカは メモリアルデーの 3連休。

今日は スタンダップパドルレースで 仕事してきました。

昼寝タイム Zzzz.....