月と海の間で

ゆらゆらと 波にゆられて 思うこと

引き寄せの法則と神経症

町で 一部の人たちに ヒーラーとして知られる 女性がいました。

10数年前 とあるイベントで 初めてみかけたのですが 目の奥から 水晶の

ような 輝きを放っていて 只者ではないなと思ったものです。

何度か 一緒に仕事をする機会もあったのですが いつも私のほうが 都合が

悪くなり 実現せずに長いこときました。

それが 数年前 忙しい時期が 過ぎる頃 私は 波乗りをする時間がもっと

欲しくて 海で どのように それを実現するか?と 考えたのです。

それは 引き寄せの法則を意識せずとも 島の反対側にある オフィスを閉めて

自宅で仕事をするように 切り替えればいいだけの話です。

が 当時 生活に最低必要な収入は そのオフィスで作っていたので 突然

閉めたら 影響が大きいかも?という 不安も多少ありました。 

海から家に戻る途中 その女性のオフィスの 看板が見えました。

そして これぐらいの(家から2分)距離なら 自宅でせずとも そこを

借りればいい。そう思ったのです。

家に着き 朝ごはんの支度をしていると 携帯がなりました。

その女性からでした。知り合いが 私の番号を 持っていたので 2日前から

自分の携帯に 登録し祈っていたというです。

何を 祈っていたのか?と聞くと 長い間 勤めていた人が 急に オフィスを

去ることになり 空きがあるので あなたに借りて欲しいのですというのです。

その人曰く エネルギーに敏感で 誰でもいいというわけでないということを 

説明してきました。

私にとっては 願っても無い タイミングでした。なぜなら さっき海で その

ことについて 考えていたからです。

私は すぐに OKの返事を出して その10日後に オフィスを移動しました。

 

数日後 たまたま 同じ時間帯に その人と オフィスを使用した私に 彼女が

晩御飯に一緒にいかないか?と 誘ってきました。

それで 出かけることにしたのです。

テーブルの上に 財布と携帯を置くと 彼女が 私のiPhoneは 新しいモデルか?

と聞いてきました。6Plusで それほど 新しくはないのですが スクリーンが

大きいので カードの売り上げを切るときに 年配の人でも 数字が見やすいよう

にと 選んだだけでした。

機能的には 4Sで 十分で 大きい画面が必要なければ 変えたくなかったのです。

彼女のは 4Sでした。それで カードを受け付けないなら そのモデルで十分だよ

と私が言うと 自分は 新しいのが欲しいと思っていると言うのです。

そして 引き寄せの法則について 話し始めました。

私の携帯を 突然手に取ると「この携帯は私のものです」って思えば 手に入るの

よねと言ってきました。この手の 神経症的 解釈には 飽き飽きしていました。

そして 言ったのです。「いや〜 この携帯は 私のものだから(笑)。それと 

あなたぐらい お金を稼いでいるなら 明日にでも お店に行って 購入する

だけで これと同じ携帯は 手に入るのよ」と。

だって そうではないですか?

今 この時点で 自分のものではないものに 思いを馳せて それは私のものと

思って過ごすより さっさと 買いに行けばいいのではないですか?

それを見たとき これはもう 神経症だと思いました。

誰でも、 あるものに対し これぐらいなら 出費できるという 基準があります。

が そのケチりたい枠を 少し広げてあげると 買えないと思っているものは

大抵 買えるのです。

1ヶ月後 その人は まだ 携帯を変えずに 欲しい気持ちだけを 語っていました。

その月 私は 一月の家賃として その人に 30万円以上(通常は7万から10万)

納めているのです。

オフィスは 他に 3人のセラピストとシェアしていたので その月 彼女の

家賃収入は 最低でも 60万円を 超えていたでしょう。

それでも まだ 引き寄せの法則に こだわっているように 見えました。

ですので「こんなに 儲けさせたんだから 買ってきなさいよ」と 半ば呆れて

私は その人に言いました。

欲しいと願っているのに 手に入れるのが 怖いのでしょうか?

それでは 意識が分裂していて その人が 本当は 何を望んでいるのかが 曖昧

です。

その頃 私は その人が 過去に持っていた あの水晶のような 目の輝きが

消えてしまっていることにも 気づいていました。

彼女は 魔法使いから ただの人に変わってしまったのです。

何年も前 彼女と仕事をしてみたいと思っていた私が それでも なかなか機会を

作らずに来たのは そうする必要がなかったのを 潜在意識が知っていたからに

他なりません。

 

携帯の話とは別に もう一つ 強く感じたことがありました。

そのオフィスは アクセスが簡単な場所にあるので 人の出入りもありそうなの

ですが 私が 借りた頃は 暇なときが 続いていました。

それで 初日から 感じていたことを 実行に移す時間がありました。

まず 入り口に 壁に取り付けたられた 花瓶がありました。が その中に 花が

生けられることはなく 長い間 誰にも 気にかけてもらえずにきたのか その

花瓶の中には 土が溜まっていました。風に舞う土埃がたまり そこまでの量に

なるには 長い年月が必要です。それほど 誰も その花瓶を 気にかけてこなかった

ということになります。

私に庭には いつも 極楽鳥花が咲いているので それを持って行って 生けました。

日持ちするので 週1回 変えるだけでよく 楽なことでした。

その次にしたことは 入り口の鉢のシダの葉が あと数枚で 全て枯れ落ちる状態

でした。それで 来たときに 水をあげるようにしたのです。

すると 3度目ぐらいには 根本のところから 小さな芽が出てきました。

その木は まだ死んではいなかったのです。

 

そうこうしているうちに 予約が入ってくるようになり その場所は まだ日が

浅かった 私ですが リピートのお客さんも増え 忙しくなりました。

一日中 予約の電話が鳴らなくても 私が オフィスに 足を踏み入れると 

電話が鳴り出すのです。

その様子を 逐一見ていた その人は 他のセラピスト達にも 忙しくなりたか

ったら 掃除をしなさいと言い始めたのです。

そして 私に あなたが忙しいのは オフィスをきれいにするからでしょ?と

言ってきたのです。

 

それは とんでもない 勘違いでした。

それでは 忙しくなりたいがために 掃除することになります。

これまで その人や 他のセラピストが 埃だらけのまま 放っておいたのは 

暇で居たかったからということでもないと思うのです。

単に 汚ければ きれいにしようと思うし、ゴミが落ちていれば 拾うし、窓が

曇っていたら 磨くでしょ? 

とくに それが 自宅とかオフィスとか 自分が 何時間も過ごすところであれば

快適に 越したことはないでしょう? 

別に 忙しくなりたいことの 交換条件として 掃除機をかけたわけではないのです。

が その人には そのようにしか 解釈できないようでした。

それもまた 引き寄せの法則にこだわりすぎて 神経症になっているからなのでしょ

う。

でも もし その人の思う法則が 作動するとしたら 他のセラピスト達が 掃除

しても 電話が鳴らないのは どうしてでしょう?ということにもなります。

 

その場だけを切り取った 私の解釈としては 自分に 誰かのために 何かをする

時間があれば その何かを必要としている人たちは 自然と集まってくるのです。

他のセラピストは 掃除をしても 心の中が いつも何かに占拠されていて 誰かの

ために何かをする 余裕がないのです。

 

ぴったりと 当てはまる 日本語が 今思い浮かばないのですが 英語で

available という言葉があります。

私が 仕事のときに 心がけているのは I'm available ということです。

だって 忙しい人に 何か して欲しいことがあっても 大抵は 断られるか

受け入れらたとしても 常に 他のことが 気になって 自分に集中して 対応

してくれないと思います。ですから 私は それとは 逆の状態に 自分を 置いて

置きたいのです。

 

現代は 忙しくなければ 劣等感を持ってしまうような 傾向にあります。

1日の中に 一体どれだけの人が 自分に対して 意識を向けてくれるか 心から

会話をしてくれるか そうした コミュケーションの質が 落ちている気がします。

コミュニケーションは エネルギーの循環でもありますから 気にかけ 気にかけられ

るというのは ある意味 生き物社会には 必要です。特に 自然から 切り離された

都市型生活を 送っている人たちには 自然からの エネルギー循環が少ないです

から 他の人を通して エネルギーが 循環していかなければ 生命のエッセンスが

枯渇しそうです。

 

花瓶の埃、枯れたシダ、それらは エネルギーの枯渇状態を 表しています。

気にかけないというのは 気をかけてない、つまり 気を配っていないことに

なります。それは エネルギーを与えない状態です。

それ以上の 勘違いを 生みたくなかった私は 自宅だけで 仕事をすることに

して そこを やめました。

こうした終わりを 私の潜在意識は 最初に その人に会ったときに すでに

知っていたのです。

それを 現実世界で 確認するには 長い道のりを 歩いてきました。

 

 

どんなに 法則のことを意識しても  手に入らなくていいものは 手に入らない

ように なっているのです。

欲しいと思うものが 全て 手に入ったら 大変なことになります。

大変というのは 例えば あなたに 犬を きちんと世話する 器量がないのに

犬が 手に入ったら あなたも犬も 苦痛な関係しか 築けないでしょう。

あなたに その準備が 整えさえすれば 思いがけず 犬の方から 歩み寄ると

思うのです。

例えば 家が欲しいと 手に入れたとしても 家だって 古くなりますから

維持していける 経済力が ついてこなければ 手放さなくてはいけないということ

も 起こります。

その家で いざこざが起これば 折角 手に入れた家でも 住みたくないと思う

かもしれません。

欲しいことには それ以外の あらゆることが ついてきます。

が 願う時点では そうした 細かい部分まで 考慮したり 見ることはできません。

 

自称 ライフコーチたちが こぞって 伝授するこの法則。

私は その法則を知らないときから 思い描いた生活を 手に入れてきたので

その法則に対する信憑性は 低いです。

それよりも 自分が好きなこと 自分を幸せにすることを し続けることです。

それだけで 私たちは 十分 幸せに生きていられるのです。

手に入らないものがあったって いいじゃないですか?

それは あなたの人生には 必要のないものだったのです。