月と海の間で

ゆらゆらと 波にゆられて 思うこと

お金は あなたが 誰なのかを 乗っ取れない

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こちらに来て アイヌの方が 書いた本を読んだことがあります。

確か 日本語にはなっていません。こちらの人が 聞き取りによって 英訳して

本にまとめたはずです。

その中で 印象的だったのは アイヌでは ”ありがとう”に 値する言葉を

簡単には 使わないというのです。命を 助けてもらうぐらいのことがあって

初めて ”ありがとう”を 言うのだそうです。

現代人にして見れば 不躾なと思うかもしれません。

スティーブンも アボリジニの社会では ”ありがとう”とか ”お願いします”と

かは言わないと言っています。それは お互いに 助け合うことが 当たり前なので

言う必要がないからだそうです。

一部を 日本語にしてみました。


”世の中で 最も 親切な人は お金のない人です。お金のない人たちは 違った

生活様式です。持っているものを 分けたり あげたりすることは 当然のこと

と 認識されているので お願いしたり ありがとうと言う必要がないのです。

本来 それが 私たちだったのです。それは アボリジニだけではなく お金の

なかった 昔は 世界中が そうだったと思うのです。

が 今は どうですか?自分のものという言葉のもとに 分けることをやめ

人種という 分け隔てによって その人たちの食住や その人たちをも 否定して

います。それは 純粋に お金のためです。

今でも アボリジニたちは 半分はお金を必要としない生活様式で 暮らしています。

それを見た息子は お金のない人が 自然から採れたもので 生活しているのに

お金のある人たちは ケンタッキーとか 持ち帰りできるものを食べているなんて

おかしいねと言いました。” 

 

ある日の夕方 ドライブしていると 反対側の通りに 轢かれた 猫の死骸がありまし

た。帰りに止まって 死骸をどこかに埋めようと思いながら 通り過ぎました。

用事を終えて 戻るとき 目の前を ホームレスの車が走っているのに 気づきまし

た。すると その車は 猫の死骸のところで 車を通りの脇に止めると ビニール袋を

持って 車から降り 死骸を拾ったのです。

誰が その猫を 轢いたのかは わかりません。

多分 家のある人でしょう。仕事を持っている人でしょう。急いでいて 猫が飛び

出したのに 止まることができないほど 忙しかったのでしょう。

これが 人なら ひき逃げです。

そして その後始末をしたのは 家がなく 必要最低限なものだけを 車に積んで 

車で寝泊まりしている 年取った男性でした。

その人には 家を借りるだけのお金がありません。

毎週 州から サポートのチェックが 送られてくるので 全然ないわけでは あり

ませんが 住むところを借りたら 食べていけなくなります。


お金があると 人は 自分が 何か 高尚なものという 勘違いをしがちです。

ない人と比べて 特別だという意識に 犯され始めます。

が 実際 世の中で 本当に 人としての 行動をとれるのは お金のない人なのだと

言うのは その人を見たときに 改めて 思ったのでした。

 

今 ノースショアに近い ドールプランテーションは パイナップルの作付けに

使っていた土地の切り売りを 5年前から始めました。

パイナップルと言いましたが 一部はさとうきびの作付けにも 使われていたと

思います。

が パイナップルも さとうきびも 今では 労働コストの もっと安い国で 栽培

されるようになり 経営としては 以前の比にもなりません。

物価の高い今では フィリピンからの労働者でない限り 誰もそこで働きたいとは

思いません。

そういうことからも 休耕地が増え 最終的に 売却することにしたのです。

昨日 そのまとまった巨大な土地を 購入しようとしている人に 会いました。

一方的に話してくるので あえて何も言わず 聞いていました。

私にしたら 全て 笑い話なのです。

なぜなら ドールは ハワイ王国から 正式な了承もなく この土地を奪い 

自分のものにしたのですから。そうするために 当時の 一部のアメリカ議員は

数人の企業家たちと ハワイで クーデターを企て 実行したのです。そして 当時

の 女王を 彼女の城に軟禁したのです。

ですから その奪った土地を 今度は 売りに出して お金にしようというのは

ギャング行為と なんら変わりありません。

 

日本が バブル後から 景気の停滞が続き さらに 数年前は 消費税の引き上げ

などが 報道されていたのを 思い出しています。

最も 不景気だと 騒がれていた頃 ハワイには 相変わらず 日本人観光客が

あふれていました。その光景は わたしにとって 少し異様に 映りました。

実は 日本は 不景気ではなく 支出に見合う 税収はあるのです。

が 不景気だと言えば 増税が あたかも 当然であるかのように 国民には 

見えるでしょう。そうすることで 反対されることなく 税の引き上げを行うこと

ができるのです。

不景気というガイドラインが バブルを基準に判断されているとしたら それは

大きな間違いです。バブルは それ自体が 作られたものです。

あれほど 不自然な時代も なかったでしょう。

多くの人が わけも分からず お金に 踊らされていた。

千と千尋の物語の 宴会シーンが それを 表しています。

若い女性が お金のために 脂ぎった禿頭のおじさんたちと エッチをするというの

も お金にパワーのない世界では 考えられないでしょう。

お金がなければ ドラッグを買おうということもできないし しないでしょう。

まして 音楽家たちが そういう精神状態に 持っていかれるのも お金を作りたい

人たちが 音楽家たちを マシーンのように 日夜 使いたいだけ使い すり減らし

そうしたことの 毎日の繰り返しが 音楽家たちを 狂わせていくのです。

だから しまいには 誰も 信用できなくなる。孤独になるのです。

もしも 世の中に お金が必要なくなったら あなたの生活は 今と同じですか?

あなたの 人間性は 今と同じですか?あなたの 他人への 評価は同じですか?

たかが お金によって あなた自身を 左右されないでください。

あってもなくても 同じ自分で いてください。

人生は 契約ではないのです。

誰も 生まれてくることと 死んでいくことに サインはしません。

そうしたところに わたしたちは 少しづつ 帰っていかなくては いけないと 

思うのです。