月と海の間で

ゆらゆらと 波にゆられて 思うこと

ビジュアル系

言葉が 生まれる少し前 私には ビジョンが見える。

それは 遠い過去だったのかもしれないし 遠い未来なのかもしれない。

が ある光景が そこにあって 私は それを 文字に 置き換えていく。

けれども 文字の世界は とてもSlow(スロー)で Flow(フロー)じゃない。

目に見える光景は 流れるように 変化していく。

文字は そのスピードに 追いつけない。

私の ストーリが 横に流れながら 終わるのは そういうところからきている。

その光景を 私は 肉眼では見ていない。

肉眼には 窓の外の マンゴーの木。そこに集まる 野鳥たち。その向こうに

ハーフエーカーの 芝生を引いた庭。そして その向こうに 庭を囲むように

しながら 長く伸びた 椰子の木。その向こうに 欠片だけの カアラ山が 見え

ている。

そして 言葉の元になる ビジョンは 多分 眉間のあたり、松果体で 見ている。

だから ブログを書く時 私は 同時に 全く違った ふたつの光景を 見てい

る。言葉が 遅れて 映像に追いつけない時は 一旦 視線をずらして 窓の外だけ

に 目を見やる。そして 再び 焦点を 戻して 言葉を 繋いでいく。 

何度も 思ったことがある。この光景を あなたの 脳の中で 再生して 見せて

あげれるなら 私の言いたいことが そのまま 言葉無しで 深いレベルで 伝え

られると。

意識が もっと しっかりと つながる時がきたら きっと それは 起こるのだ。

今は まだ 人は 表現することに 対しての 危険性を 熟知していない。

いい加減な報道が 起こるのは 成長するためにここにいる人類にとって 毒でしか

ない。

だから ダイレクトには 繋がれない。でも 繋がっているのを 私は 確信できて

もいる。

 

私が 何かについて 語る時 そこで聞いている 友人たちは ただただ 聞いてくれ

ている。

その時点で 彼女ら、彼らは 私が 何を言っているのかについては わかっていな

い。

けれども それは それで いいのだ。私は 私の 言うことについて あなたに

今ここで わかってくれとは これっぽっちも思っていない。私の言葉を あなたの

世界に迎え入れるのは あなたの選択次第だし 選択されなくても それは あなたが

決めることだ。

私の言葉は ある意味 投石だ。

それが 3次元の世界で あなたに届くには 多少の時間を 要する。

水たまりに投げ込んだ石は 波紋を作り出す。

その波紋が 中心から 端に届くには 時差がある。

が 確実に 届くことになっている。

だから 私の言葉が 今わからなくても 波紋は あなたの5年先、10年先に

届くのだと思っている。そして 私を 忘れた頃、街で 風に触れた時、通りすぎる

人から 懐かしい 香水の匂いがしたとき、道端で 落ちたコインを 拾おうと

身をかがめた時 どこかで 聞いた言葉は とても 新鮮に あなたの中に

蘇り その瞬間「あ〜 これだったんだ」という 気づきが あなたの中に 起こる。

その時 私の言葉は あなたになっていく。それは ずーっと 前から あなたの中に

あったのだ。呼び合うことで 顔を のぞかせた。同じ波は 重なり合いながら 大き

な波となっていく。

 

私は 未来から 過去に向かって歩いている。

だからといって アウトローなわけではない。

あなたが 今 自分を ダメだと 感じていても 私は あなたが ダメじゃない

ことを もう知っている。だから 私は それを 知らせるために ここにいる。

あなたは あなたの未来を まだ知らない。

あなたは 過去のあなたをベースに 今の自分を 測りたがってる。

人は 自分の経験のないことは 理解できない。また 経験の範囲でしか

物事を わかることができない。過去は 常に 追ってくる。

でも あなたに ほんのすこしの勇気があって、過去をやめて 今を ここから

始める時 あなたは あなたの過去から 解放される。

そして ここから 新しい過去を 作っていける。

私には いまそれが はっきりと見える。