月と海の間で

ゆらゆらと 波にゆられて 思うこと

心を亡くす

世の中に 忙しくないと言える人が いるのかが 疑わしい昨今ですが、

英語で言う ”Busy”が どういう状態なのかを 英語圏の人たちに示す時 

日本語の 忙しいは とても助けになりました。

漢字で 忙は 心(立心偏〜りっしんべん)と 亡の 組み合わせから来て

います。

忙しい生活の中で 私たちは ストレスにさらされ 余裕を失い 小さなことに

怒りっぽくなったり(切れやすくなったり)、涙もろくなったり、暴飲暴食に

走ったり、最悪なケースでは 自分にたいする ケアを 失っていきます。

そういう状態から 心を亡くすと 文字で 表現されるようになったのかな?

と 思います。

 

日本人の方に会うと 歯や歯茎が 酸の影響を受けている方を 多く見かけます。

綺麗な肌をしているのですが、見た目に とても美しい(男女ともに)のですが

口を開けると 不健康な歯茎と 酸によりエネメル質の溶けたような歯が 覗け

ます。

これは 明らかに ストレスから 胃酸過多になっていて 体内の pHバランスも

酸性になっていることの 現れだと思っています。本人は ストレスというものに

なれていて それが 当たり前の状態になっているので 感じていないと思われ 

ます。

仕事が終わると 今度は 職場の人との 飲み会が待っています。

私が オーナーなら 仕事が終わった人たちには さっさと帰ってもらって 家族

と 時間を過ごして欲しいと思います。それか 好きなことをするのに 時間を

使って欲しいと思います。

飲み会で遅くなり 翌朝また 出勤というのでは 一体 どれだけの人生の時間を

仕事に費やしているのか?と 心配になります。

休むこと、のんびりすること、自分のために時間を使うことに 罪の意識を 感じてい

るのだとしたら それは 間違いだということに 気づいてください。

 

話は 変わりますが、空は(空間の意味の空)あらゆる情報〜エネルギーで 埋め尽く

されていると 私は 思っています。

つまり ”空=無”ではないのです。仮にですが あなたが 手に グラスを持っていた

とします。そのグラスは ワインで 満たされています。

が それを 飲み干すと グラスは 空っぽになります。

本当に そうですか?

ワインは 無くなりますが グラスは 空には ならないのです。

そこには 肉眼では 見えない 質量をもった何かが(エネルギーでも 情報でも)

が 流れ込んで グラスを 満たしているのです。わかりやすい例で言えば グラスは

空気に満たされるでしょ?

誰が グラスは空だという 表現をしたのでしょうか?

それは 間違っています。

昨日 少しだけ 孤独の話を ブログに 書きました。

孤独は 心の中に ”空いた” 座席があります。あるいは 心の中に 光のささない

部分が あるようにも 見えます。またある人には それが 穴の開いたような 感覚

を もたらすかもしれません。

でも あなたが 孤独を感じる その時こそ あなたは 目に見えないけれど 確実に

存在する何かと つながるチャンスを 得ているのです。

これが 悲しいことでしょうか?寂しいことでしょうか?

私は 素晴らしいことだと思います。喜ぶべきことだと思います。

なぜなら 私たちは 常日頃 一人にならないように 人生の中で あらゆる配慮を

しながら ”孤独=負”の意識に 支配されて生きているので 目に見えないけれど 

確実に存在する何かと つながる余裕が ありません。

例えば 失恋したり 長年連れ添ってきた人が 亡くなった時 人は 心に ぽっかり

と 穴が ”空いた”ようなという表現をします。

それもそのはず、その感覚は 間違っていないのです。

あなたが 誰かと連れ添う時 あなたは その人を 心の中に 住まわせます。

その人に あなたの心の空間を 与えるのです。

現実世界で あなたは その人と 時間や空間をともにし、目をつぶった世界では

あなたは あなたの心の中で その人と 時間や空間を ともにするのです。

寝ても覚めても あなたは その人と一緒の状態を作ります。

ですから 肉体的な 分離が起こると 視覚上 その人は 消えます。

そして 同時に 心の中にいたその人も 影が薄くなっていきます。

やがて そこは 空席になります。ですから 穴が開いたようなという表現は

あっているのです。

と同時に あなたの記憶は 身体的感覚を 呼び起こすことができます。

例えば あなたを 猛烈に 怒らせた人が 過去にいたとします。

その出来事を 思い出すだけで あなたの 心拍数や呼吸数はあがり 気づくと

拳まで 握っているのかもしれません。が あなたは ただ思い出しているだけな

のです。あるいは 彼氏や彼女に ひどいことされて 悲しんだことがあるとします。

その出来事を 思い出すと 泣ける自分がいたりします。

思い出すという行為は 体全体で 記憶したことを 蘇らせることができます。

イメージによるトレーニングに 高い確率で 効果が見られるのは そうした

体のもつ 働きを 効率よく 利用しているからです。

それを 別の観点から見ると では 悲しんだり 怒ったりしているのは 今の

自分なのか?過去の自分なのか?ということになります。

過去の自分に 今の自分が コントロールされているのが わかりますか?

人生を変えようと思っても なかなか変えれないのは そういうことがあるから

なのです。

過去の自分が そこ ここで 見えない糸を引いている。

一瞬 一瞬 執着から 離れる 練習をしないと 過去で 今が 台無しになる

こともあります。

が 過去の経験から 救われることもあるのです。

ただ 過去に 毛深い男に いじめられたからといって それが 未来に出会う

毛深い男にも 当てはまるか?と言えば それは そうじゃないと思います。

仮に そういうことが 繰り返されるのだとしたら それは 毛深い男に 問題が

あるのではなく 毛深い男は こうだと 決め付けている あなたの意識が そう

した状況を 呼び寄せていると 判断する方が 正しいでしょう。

 

”心を亡くす”から 話が だいぶ飛んでしまいましたが 心を 失うということは

自分を 見失うことですから どうか 自分を 見つめる時間を 持つことを 

忘れずに、その時間を 必ず 予定に 組み入れて 自分と 対話しながら 

心身ともに 健康に 日々を 送られますように。

 

Aloha & Malama Pono,