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moonandoceanhawaii’s blog

ゆらゆらと 波にゆられて 思うこと

6年目の逆転

離婚には 旦那の子供達が 介入し 色々と 面倒が多かった。
運転している車の鍵を 取り上げられそうになったり ビーチで 顔を合わせるたびに嫌がらせをされたり、車のミラーに ヒビが入ったり。
直接は 言われなかったが 日本に強制送還してやると 周囲に 言っていたらしい。
他の男と一緒にいるところを見かけたら ぶん殴ってやると 義理の娘に言われた。それは 私が浮気をしているのだと 決め付けているのだった。

大抵の人は 他に 好きな人ができて 離婚するのかもしれない。
私の場合は 自分を 選んだだけだった。
けれども そんなことは 彼らには 理解できなかった。

離婚の申し立てをしたのは 私だ。

私は 彼の欲しい物を 持っていないから 彼を幸せにできない。

何台もの車と オートバイが 庭を占拠し それは 永遠に続くように 思えた、あの頃。私の見る未来は そこにはなかった。彼は お金と物が 大好きだった。

思いもよらなかった ドラマの中を 通り過ぎながら 裁判所から 認定のスタンプと共に 書類が 戻ってきたのは ヴァレンタインの日だった。

アメリカでは 離婚の際 慰謝料などの請求がなくても 10枚ぐらいの書類を 記入しなくてはいけない。英語もままならない私に 生まれて初めての書類で 手間取ったが 裁判所の係りの人が 親切に対応してくれた。

離婚後 4ヶ月もしないうちに 彼は他の女性に出会った。
離婚書類の 彼のパートを記入してもらうのに あった時は 泣いていたのに かなり 素早い 切り替えだった。人ってわからない。
その女性は スタンフォード大学で 教授陣のトップに立っていた地位の人で 今でも軍の関係で 重要なお仕事をしている。
当然 たくさんお金を持っていたし 買い物も大好きな人だった。
もっと 驚いたのは 私の知り合いの お母さんだったのだ。

そのことを知る前 スーパーで 知り合いにあった。
すると 知り合いは 急に 私に近づいてきて 強く抱きしめてきた。
私は よくわからないまま そこを 後にしたのだが その意味が 後でわかった。

私は その女性に 後日 花束とカードを 送った。
そこに 彼と 出会ってくれて ありがとう。私では 幸せにできなかったのですと 
書いた。

その頃 私は 毎日のように 彼と 彼の家族の幸せを 祈っていた。
家族は皆 割のいい仕事に 転職し 彼らは 幸せに暮らしているように思えた。

そして 離婚から6年が過ぎる頃 元旦那が 連絡してきた。
とある ホテルのバーのステージで 知り合いの レジェンドサーファーが 昔話をするから 行こうというのだった。
私の知る サーファーでもあったので そこで 落ち合うことにした。
少し早めに着いた 私たちは レンストランで 軽く 食事をした。
その時 彼の口から出た言葉は 息子が 14年間 連れ添ってきた女性と 別れたというものだった。その人たちに 散々 嫌な目にあわされた私だけど その話を聞いて 涙が出てきた。それほど 長く連れ添っていたのだから 別れは さぞ辛かっただろうと思えたからだった。
その女性とは 当時の 義理の娘、私が 浮気をしていると思った女だ。
浮気をしていたのは 彼女の方だった。
浮気相手の子供を妊娠したことで 明るみに出て 離婚に至ったらしい。
しかも 長いこと連れ添った二人が 婚姻届を 提出してから 1年も経っていなかった。
 

その日 家に戻り 私は 唖然とした。
いくら いじめにあっても その人たちは 私の子供という位置にいた。
だから 私には 恨んだり 怒ったりする気持ちは これっぽっちもなかった。
私は ひたすら沈黙を 守り続けながら ただただ その人たちが 幸せになれますようにと祈ったのだった。
それが 6年経って どうだろう。

彼らが 最低だと思っていた原因で 彼らは 離婚することになった。

ここには 大きな メッセージがあった。

Don't react. Live your life. Be happy. 

いじめをする人たちには 底がない。
彼らの憎しみにも 底がないからだ。
死んでしまった人を さらに 何度も突き刺すような人たちがいるが そういう人たちは 憎しみに 体も心も 奪われた人たちだ。

そんな 狂った感情に 反応していても 自分の時間を 失うだけ。
それよりは 自分の信じる人生を 突き進めばいい。そして そう生きることが 幸せへと 導いてくれる。

 

宇宙は 公平だ。私は そんなことを 思った。