月と海の間で

ゆらゆらと 波にゆられて 思うこと

アンビエント ミュージック

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コンポーザーの ジム ウィルソンが コオロギの鳴き声を録音し 

再生スピードを ゆっくりにしたところ 人間が コーラスをしている

のと そっくりな音だということを 発見。

イギリスの マルチインストゥルメント アーティスト デヴィッド コウルターが

その コウロギの鳴き声に ノコギリを使った 演奏を 重ねていきます。

こうした アンビエントな音に 包まれると 脳波が 自然に 瞑想状態に

近づいていきますね。

自然から 繰り出される音は 私たちが 意識を開いて 聞くならば 実は 

いつも 交響曲のような音楽を 奏でているのかもしれません。

そして それにより さらに 意識が 高いところに 上りつめる。

クラシカルミュージュックに 携わった 過去の音楽家たちは 実は そうした

音を 聞いていたのかもしれません。

 

私たちの暮らす 自然に囲まれた環境は 実は 私たちの 魂の成長を 支える

ように デザインされているのだと思います。

が 人類は今 そこから 遠く離れたところを 歩いています。

 

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Have a wonderful day!

日の出前

今朝の月と 金星は 割と 距離を 置いている。

昨日 喧嘩した わけじゃない。

深さ 

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目をつぶって 上の歌を聴くと 長い髪の女性が サテンのドレスを着て 

ヒールを履いて ステージに立っているイメージが浮かぶ。

それは これまで 歌唱力のある 女性ヴォーカリストは 大抵 そのような

ステージ衣装で ステージに立っていた記憶があるからだ。

が 目を開けると そこには 裸足で ショートヘアーの ラフな格好をした 

k.d.がいる。

人間の目は 基本的には 見たいようにしか ものを見ない。

お昼過ぎに 海から帰ってくると 玄関前の コンクリートのところに 蛇の

ような生き物が じっとしていた。

ハワイには 蛇はいないので どうしたものか?と思い 近づいて ようく 見て

みると 2匹のトカゲが噛み付き合っている(キスしてたの?)。

写真を撮ろうと思ったが 近くまで行くと 逃げられた。

体の色が 周囲と ブレンドするので よく見えなかったのと 爬虫類系で

長いものといえば 蛇が記憶にあるので 蛇と錯覚したのだ。2匹のトカゲの

体長は 合わせて 約40cmぐらいだった。

 

先日 エンジェルが オフィスに来た時 近況報告の中に 最初に結婚した相手が

今 オアフ島に来ているけど 彼氏と一緒なのという話があった。

それを聞いた時 私は 「あら、そう。それは良かったことだね。」と 答えた。

すると 彼女は 私の反応が みんなとは 違うので 私が 聞き違いを した

のだろうと思い 再び 同じ話を 繰り返した。

それで 私は また 同じように答えた。

昔 関係を持った相手が もしも 一人で 訪ねて来たなら 食事に付き合わなくて

いけないのではないか?とか 電話がきたら 話し相手をしなくてはいけないのでは

ないか?とか 煩わしいと思いながらも しなくてはいけないことが あるかもしれ

ない。

が、すでに 次の相手ときているなら 自分の時間を 煩わされることがないので  

自由だという意味で 良かったことだねと言ったのだった。

彼女にしてみれば 私が ゲイにオープンだということは 想像していなかった

ことなのだろう。私に 「え〜! そうなの? 男同士?」とかなんとか ありがち

な 反応を 期待していたのだ。

それで 彼女に言った。

「ゲイコミュニティーが 今 どんどん 大きくなっているのは 地球が 女性的な

エネルギーを求めていることの 現れなんだよ。

これまでは 男性的エネルギー あるいは 男性ホルモンに 世界は支配されていた。

だから 地球が バランスを 取り戻すためには 男性が 女性的になるのは 自然

なことなんだよ。」

本来 男性も 女性も 両方の エネルギーを 持っている。

が 信念体系により 女性や 男性は イメージに沿って 作られてきた。

男の子は こうじゃなきゃとか 女の子は こうじゃなきゃとかいうのは 単に

作られた 世界であって 本来 あるべき世界からは かけ離れた 狭い世界だ。

そして その狭い世界を 信じ込むことで 私たちは どちらかの エネルギーを 

ブロックし 社会の枠にはまることで いい子を 演じてきた。

が その結果が 環境破壊であったり 終わらない戦争だ。

これは 私が 勝手に 思っていることなのだけど 地球は 私たちの意識に 

働きかけても 自らの バランスを 保つ方法を 知っている。

だから ゲイや ホモセクシャルを 差別することは 全くのナンセンスでしかない。

モラルとか 常識とかのレベルで こうした 現象が 起こっているのでは ない

からだ。

そうした見方ができると 差別行為など 行えない。

何しろ 地球が 生死をかけた 究極の アイディアが それだからである。

 

人間は ほとんどの場合 物事を あまりにも 感情的に 理解しようと

してしまう。

が 物事は 実は もっと 高いところ 深いところから 降りてきている場合が

多いのだ。それを 個人の都合や どうでもいいような感情に 振り回されると

本来の意味が 見えなくなる。

かといって 感情を ブロックすることが 決して いいわけでもない。

人の心は 動くことによって 浄化作用が 起こるからだ。

 

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上の動画と 下の動画は レナード コーエンの カバーだが 

彼女の ヴァージョンが 一番好きだ。

2010年に オリンピックの開催式でも 彼女が ハレルヤを 歌っているの

だが そのステージでも 裸足だった。

一見 正式な場で 裸足はと 思われるだろう。

それを 通した 彼女も凄いが 受け入れた側も 凄いと思ったものだ。

ちなみに 私の 大好きな ピアニスト ジョージ ウィンストンも 演奏の時は

いつも 裸足だ。

足には 実に たくさんの関節がある。それは でこぼこ道を歩きながらも

微妙な角度に合わせ バランスが うまく取れるような デザインになっている。

裸足で 枯葉や 砂の上を歩くのは 気持ちがいい。

眠れない人は 足をマッサージするだけで リラックするできから 是非 試して

見て欲しい。

足が 型の中に入れられていると 頭蓋骨の動きまで 狭くなる。

暑い季節がやってきた。できれば たまには 素っ裸で寝てみるといい。

慣れない人は 逆に 締め付けのない感覚に 不快になるかもしれない。

不自由も慣れてしまえば 感じなくなる。

人間が 常に 新しいものを 求める根底には そうした 慣れから来る 危険を

回避しようとする 働きがあるのかもしれない。 

 

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美しいものを 創り出す人たちは皆 どこか 男性的で 同時に 女性的でもある。

それは そもそも 創造というエネルギーは その相反する 二つのエネルギーの

絡み合いの中から 生まれてくるからなのだろうと思う。

 

Have a wonderful weekend!

 

自然の法則

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Less effort maximum benefit(わずかな努力で 最大の利益を)は 自然界の

法則である 禅にも通じる言葉だ。

昨日の スローな乗り物の 板を 乗りこなすにも ぴったりの言葉である。

こうしてやろう ああしてやろうと 自分から 動いてしまうと 板のもつ特性を

最大限に 引き出せないばかりか 波の力を 生かすこともできない。

できれば 乗せてもらうという心持ちでいた方が 波がのせてくれるから 見ていて

自然な波乗りになる。

 

熟れる直前の マンゴーを わざわざ 高い木に登って取らずとも 時期が来れば

自然に枝から離れ 地面に落ちる。

わずかな 努力と書いたが 実際は 努力なしで 利益を得ることも可能なのが

自然だ。

 

先日 大学に勤める 地質学者と カエナ沖 海上に 建設が予定されている 

風力発電の 話をした。

予算的にも 工事にかかる期間的にも 時代にそぐわない 無理が感じられると

いうのが わたしの意見だが 彼から見ると なんの問題もないという。

 

最近 ドイツでは 植物が作り出す エネルギーを利用しようという 実験が

進んでいるというのを 知った。 

アメリカだったかで ある特殊な ペイントを 壁に塗り そこに 電線を接続して 

灯りがつくという 実験も 商品として 市場に出回ってもいいほど テストが 進ん

でいるという。

 

ソーラーや ウインドを 代替エネルギーにしようという 動きが始まった

当時は 結構 エキサイティングだったりもしたが 実際は 環境に対する

負の影響が 全くないわけではない。パネルの設置で 覆われてしまう土地、

プロペラから 発せられる 騒音や 鳥の事故、そして 部品となる材料は

一定の期間で ゴミと化していく。

その点 植物から 電気を取り出せるなら ソーラーパネルの設置で 土地を

埋め尽くすより 植物によって 埋め尽くされるわけだから 大地にとっては

健康的だし それによる 他の生物を含めて エコシステムが 活性化され 

廃棄物も 最小限に済まされるだろう。

 

上の動画は 木が いかに 他の木と交流し 助け合いながら生きているかと

いうのが テーマだ。

内容は The Hidden Life of Trees という 本が 参考になっていると思われる。

画像を見ていると 木の根が 意識を持って 行動しているように感じた。

木には 人間のような 脳がない。では どこで思考するのか?という

話になる。

木の細胞の全てが 脳の役割をするのではないかと ふと思った。

 

時代は ロボットとの共存を 意識し始めるところにある。

が 人はまだ 自分たちのことも ちゃんと わかっていない。

自分たちのことを 自分たちの住む世界のことを きちんと わかる時が来れば 

私たちには 何も求めるものがないことに 初めて気がつくのかもしれない。

バンド アメリカの ティンマンという歌で オズは ブリキの男が既に持っている

ものを与えはしなかったという くだりがある。

当然のことである。与えずとも すでに 備わっているのだから。

ちなみに 温暖化といわれつつも 寒冷化に 向かっているように 感じられる

時がある。

当然のことなのだ。

あなたが 熱を出すと あなたの体は どのような反応をするだろう?

健康な人であれば 体内の温度計を 調整する システムからの通報で 

熱を 基準まで 下げようとする 働きが 生まれる。

地球も同じだ。

人間の暮らしが 大気や海水の温度を上昇させれば 地球のシステムが 

それを 基準値に下げようと 働きかける。

ホメオスタシスというやつだ。

そして 暑いと寒いが なん度も繰り返されながら やがては 氷河期へと

突入していく。

ホメオスタシスの証明としては 例えば 二酸化炭素の排出が 増えた 数年後

から カリフォルニアのある地では これまで 植物が枯れてしまった場所で 

木がどんどん生えてきて 再び 森にもどろうとする自然の動きがあることを 

報道している。地球はあらゆる生命の意識に働きかけることで 自らの バランスを

保とうとしている。

木の意識が 根を伸ばして 他の木を 支えていく。

人の意識は 手を伸ばして 自分の利益だけを 掴んでいく。

 

私たちに 必要なのは AIよりも 自らを知る 欲求なのかもしれない。

 

と言いながらも AIを作る過程において 私たちは 自分たちが いかに

作られてきたのか?ということを 再現しているような気もする。

私たち自身にたいする 情報に乏しい私たちが 実は ロボットではないと

言えるだろうか?

私たちは ロボットだからこそ どんな存在であるか 誰かに 知らされないと

わからないのでは ないだろうか?

自然の法則に 思いを馳せながら そんなことを 思った。

 

 

 

 

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夜遅く 仕事が終わり 車で 家に戻る途中 ノースショアに来た人なら 

誰でも 知っていると思うけど 坂の上から 海を見下ろせるところがあって

そこまで来ると 決まって ラジオから この曲が 流れていた時期があった。

その ラジオ局は 5年以上も 流す曲が 変わらなくて この曲も

その中の 一つだった。

 

ちょうど 家に戻る タイミングと 重なって I wanna go homeの部分を  

I'm going homeに変えて 歌っていたのを 思い出す。。

 

歌詞は 歌い手の生活に合わせて作ったような 内容になっている。

家から離れた 遠いツアー先で たくさんの人に出会っても なぜか

孤独のままという気持ちや 君も一緒に 来ることはできたけど 来なかった

のは これは 君の夢じゃなかったからねとか。

元ジャーニーの スティーヴ ペリーは ツアーが 10ヶ月も続く生活を

サーカスライフと 詩の中で 表現していたっけ。

 

わたしにとって 懐かしくなる家は 郵便物が届く住所の家とかじゃなく

生まれた家でもなく きっと 死んでいく家でもない。

もっと 遠い 遠い 時の果てのどこか 全てが 混じり合っているところ。

それが どこかというのは 霞んでいて 今は まだ はっきりと 見えない。

でも きっと いつか そこに 戻るんだろう。

 

下は おまけ。

 

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虹を食べる

いちご さくらんぼ とまと すいか

にんじん かぼちゃ アプリコット マンゴー

パイナップル パパイヤ 黄桃 れもん

ブロッコリー 大葉 ほうれん草 アボカド

かぶ ぶどう なす ブルーベリー

カリフラワー にんにく 大根 たまねぎ

水の中で聞こえる 砂の擦れあう音。

どんな音よりも こころに 響く。